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衆議院議員 税理士 あんどう裕

ひろしの視点

HIROSHI’S POINT OF VIEW

ひろしの視点

2019/06/05

新しい御代になりました

5月1日から新しく天皇陛下が即位され、令和の時代が始まりました。

上皇陛下におかれましては、30年あまりのご在位の間、本当に国民のためのお勤めをしてくださり、心から感謝申し上げます。これからは上皇后陛下とともに、末永く健やかにお過ごし頂きたいと思います。

また、新しく即位された天皇陛下におかれましては、心からお慶び申し上げます。令和の御代が日本国民にとって平穏な時代になりますように、我々も精進してまいります。

今回の御代替わりは、昭和から平成に代わるときと異なり、国民が心からお祝いをできる環境でした。前回は先帝の崩御によるご即位でしたから、心からお祝いを申し上げることも憚られる状況でした。今回は、そういう意味では国民が一つになってお祝いできたことはとてもよかったと思います。

世界も注目した御代替わり。これから様々な儀式が予定されています。

現行憲法下で政教分離の建前があり、これを真面目過ぎるほど気にして儀式が組み立てられています。個人的には、政教分離をそこまで気にしなくてもいいのではないかと思います。米国でも、大統領就任式では聖書に手を置いて宣誓を行います。それぞれの国の成り立ちを考えたとき、宗教とは切っても切り離せないのが本当のところです。それを無理に分離させようとすると、どうしてもどこかに歪が出て来ます。

天皇の存在は、どうしても神道と切り離せません。

現行憲法下では、天皇の地位は第一条に「日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴」であって、その地位は「主権の存する国民の総意に基づく」と規定されています。

これは、『憲法があって、そのうえで天皇が存在する』というように読めますが、実際はそうではありません。現行憲法ができるはるか以前から、天皇は存在しているのです。天皇の歴史は日本の歴史そのものなのです。天皇陛下が存在しなければ、日本国はそもそも存在していない。そのことが、現行憲法の規定ぶりでは分からなくなっています。

大日本帝国憲法では、天皇についてはこのような規定でした。

「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」

私は、これが本来の憲法の規定すべき文言であろうと思います。一点だけ修正すべきなのは、「統治す」ではなく「治らす(しらす)」とするべきでしょう。これは、日本書紀の『天壌無窮の神勅に由来する言葉にするべきだ』という趣旨です。『天壌無窮の神勅』とは次のような文言になっています。

「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り無けむ」

大日本帝国憲法は、まさにこの神勅を基にして、きわめて短文ながら正確に天皇の地位を規定しています。ただ、「統治す」という言葉を使ったのが問題で、天皇主権という形が強くなってしまいました。日本における天皇の存在は、武家政治が確立されたころからは明らかに権威と権力を分離していたところに特徴があります。日本最高の権威は、政治権力とは分離されたところに存在していたのです。

明治維新の精神もそうだったのかも知れませんが、明治憲法は、大政奉還により天皇に政治権力を持たせようとしたところがあります。本来は、第一条で先ほど書いたように「大日本帝国は万世一系の天皇これを治らす」としておき、「その他の規定はすべて法律で規定する」という形が一番良かったのでしょう。欧米先進国の仲間入りをするために、憲法を規定しなくてはならないという意気込みで憲法を作ったのは良かったけれども、結果的に憲法の不備により軍部の独走を抑えることができず、不幸な戦争に突入していったことは周知の事実です。

本来、日本が手本とすべきだったのは、イギリスであったのだろうと思います。イギリスは、日本のような成文憲法を持たない「不文憲法」の国です。つまり、それまでの歴史で培われてきた「国民の常識」が最も重視され、憲法の役割を果たしているのです。

日本もこれから憲法を作るなら大日本帝国憲法第一条のみを規定し、その他は法律事項にしておくような考え方もできるのではないでしょうか。そうすれば、憲法改正で大騒ぎをすることもなく、法律であれば修正が必要なら国会の議決で修正できるようになります。ただ、手を付けてはならないのは「万世一系の天皇が治らす国である」という点だけであるということです。

そしてもう一つ、現行憲法第二条「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」を修正して残したほうが良いかも知れません。

現行の規定では、皇室典範が国会の議決により決めることになっています。つまり、権力の下に権威が置かれているのです。これは明らかに日本の国柄には合いません。日本最高の権威を権力の下においてはならないのです。従って、皇室典範は皇室で決める。国民はそれをお支えする。そのような規定にしておくべきなのです。

昨今、女性天皇や女性宮家創設に向けての議論を加速すべし、ということを言う人が増えてきました。国会議員の中にもその意見があり、また、先の皇室典範特例法を決めた時の付帯決議にも書かれてしまったので、議論が加速する恐れがあります。しかし、現在のままの流れでは、「今の時代に合った皇室典範にするべきだ」という雰囲気で皇室典範の改定がなされてしまう可能性が極めて高いと思います。本来の日本が最も大切にしなくてはならない「万世一系の天皇」をこれからの子孫に残すことができるのか。『今の時代に合う』ということは、将来の時代には合わない可能性があるということです。そんな安易なものより、長い歴史の中で守り続けられてきたもののほうが、よほど大事ですし安定しています。これを、現代の価値観で変えようなどとおこがましいことは考えないほうが良いのです。

いずれにしろ、新しい御代をいい時代にしなくてはなりません。そして、皇室の今後未来永劫の弥栄をお支えすることが、私たちの役割だろうと思います。