あんどう裕のアイコン

衆議院議員 税理士 あんどう裕

ひろしの視点

HIROSHI’S POINT OF VIEW

ひろしの視点

2015/12/04

人口一億人の維持目標について

安倍総理が自民党総裁としての新しい任期を始めるにあたり、発表した政策の柱となる1億総活躍社会の実現。なかなかイメージとしてはつかみ難いものと言われています。

定義としては、「50年後も人口一億人を維持し、一人ひとりが自ら、家庭で、職場で、地域で生きがいを持って、充実した生活を送ることができる社会」ということになっています。

人口一億人を維持するには、出生率の向上が急務です。長い間、少子化問題は日本の大きな政策課題とされてきましたが、ほとんど効果が上がっていないというのが実情でしょう。現在でも「待機児童解消」「病児保育病後児保育の充実」「保育士の育成、離職防止」などが政策の柱として掲げられています。

私がこの議論の時にいつも気になるのは、〝これらの政策は働く大人の都合であって、子供目線で見たらどうなのだろうか〟ということです。

党内で、この議論をしたときに私が発言したのは、次のような内容です。

「女性が輝く社会で、働きたい女性はどんどん働いてくれれば良いけれど、『働かないと輝かない』みたいなイメージは作らないで頂きたい。出生率を上げるためには、女性が安心して子供を産み育てることができる環境を整備すること。それは、安心して子育てに専念できる環境をつくること。保育所の整備も良いけれど、この整備を進めれば進めるほど、自分の子どもが初めて立った瞬間、初めて歩いた瞬間を見たことがない親が増えていく。親というものは、単に子どもを産めば親になるというものではなく、子育てを通じて親として育っていく。その子育ての過程を保育の充実をすることによって外注化していくことになり、親としても育ちが不十分になる。これは親にとっても子どもにとっても残念なことである。また、病児保育や病後児保育充実を図ることは、子どもの自己肯定感を失わせる原因になるのではないか。ただでさえ、日本は子どもの自己肯定感が少ないと言われている。病児保育や病後児保育を充実させればさせるほど、子どもは〝病気して迷惑をかけた。病気してはいけない〟と感じるようになり、病気になった自分を責めるようになるのではないか。そのような子どもたちが大人になる20年後30年後の日本はどうなってしまうのか。」

人口一億人を維持することを、目標として掲げるのはとても良いと思います。皆で子育てを支援し、子供を産み育てる若い世代を応援することは間違いなく必要です。でも私は、その時の子育て支援とは、病児保育や病後児保育を充実させることではなく、子どもが病気になったら安心して仕事を休むことができ、親が看病してやることができる環境を作ることのほうが、よほど将来の日本社会に役立つ施策のように思います。

もう一つ、人口一億人維持目標を掲げると同時に大きくなってきているのが、外国人の受け入れ、いわゆる移民を受け入れるべきという声です。

私は、移民受け入れには断固反対の立場です。ヨーロッパなどでも移民と、元々の国民との間での軋轢が生じて大きな社会問題となっています。今や移民排斥の是非が選挙時の大きな争点になっているほどです。

日本の場合、特に地方において若手の労働力が不足し、そこで外国人労働者を受け入れたいという声が大きくなってきていることも事実です。現在も、外国人技能実習制度などを通じて、適切な形で受け入れが進められてもいます。

しかし、やはり言葉も宗教観も生活習慣も異なる人々と同じ生活圏でずっと生活をしていくのは、感情的にとまどいがあるのは否定できませんし、理性では分かっていても感情がついていかないことは、人間誰にでもあることです。感情面まで政治的に強制するわけにはいきません。

また、外国人移民を受け入れると、どの国籍の人が増えるかと言えば、間違いなく近くて人口の多い国の人が最も多く入ってくるでしょう。そして、必ず外国人参政権を求める声が次第に大きくなり、そうするうちに認められるようになるでしょう。

さらに、移民の人たちは、日本人よりも出生率・出生数ともに高いのが通例です。日本人の出生率が低いままで、移民の出生数が多い状況が続けば、二世代三世代後には、日本に住む住民の割合は移民系の方が増えてしまい、純粋な日本人は少数派になっているということが予想されます。そのような未来を作って良いのか、大いに疑問を感じます。

私は、人口一億人維持目標は良い目標だと思いますし、実現に向けて努力すべきと思います。しかし、それは日本人の手で達成すべきであって、外国人を連れてきて「一億人維持しました」と言うのは反則技のように感じます。

人口減少社会を迎えるようになり、日本人は漠然とした不安を持っています。しかし、私は人口減少社会を恐れるなと言いたいと思います。人口が減り、働き手が足りなくなると言うことは、それだけ賃金給料が上昇していくことになります。賃金が上昇していけば購買力が上がるので高いモノが売れるようになります。数量が増えなくても単価が上がれば利益はきちんと付いていくようになります。人口が減ると国のGDPが下がると言われますが、そんなことはありません。

また、働き手がいなくなることは、様々な技術革新、省力化、自動化を進める良い機会だととらえるべきです。

働き手がたくさんいる時は、自動化や機械化は雇用機会を奪うので必ずしも歓迎されませんが、これからはそのような形で生産性を上げていくことが求められ、政府もそれに対して最大の支援をすべきです。

若い働き手が多数失われた戦後の大混乱と廃墟の中から立ち上がる時も、先人たちは外国人の力を借りようとはせず、自分たちの力で国を再建しようとしてきました。この精神を忘れてはなりません。外国人移民を進めることは、合法的に侵略されることを意味するのです。

日本の国は日本人の手で守り抜き、次の世代へ引き継いでいく。分かりやすい尖閣や竹島の問題ばかりを気にするのではなく、国の内部からの崩壊にも気を付けなくてはなりません。

-「ひろしの視点」第15号(2015年11月)より-