ひろしの視点

「日本の未来を考える勉強会」の活動を再開します

一昨年から始めた私が主宰する「日本の未来を考える勉強会」の活動を再開します。

政務官に就任して以降、時間的な余裕がなく、また政府に対して批判的な言動を制限される立場でもあり、昨年の臨時国会中は勉強会を12月に一度開催しただけで、あまり活発には活動できませんでした。

しかし、政務官に就任して半年ほど経過して仕事のペースが掴めてきたこともあり、勉強会を改めて再開することとしました。

とは言え、内閣の一員である政務官の立場がありますので、内閣の方針と異なること(例えばいままで主張してきたような「消費税は減税すべき」ということ)は言えません。従って、当面は、いままで考えてきたけれども触れていなかったテーマについて、講師の先生方をお呼びして話を聞く勉強会にしようと考えています。

今の日本の状況は、かなり危機的状況にあります。最近世間でもやや知られるようになってきましたが、この20年余りの間、世界は順調に経済成長しているにも関わらず、日本だけがその成長に取り残されてきました。世界中の国民はそれぞれ豊かになっているのに、日本だけは国民が貧困化しているのです。

この間の日本の政策は、「財政健全化の旗印を掲げた緊縮財政」「既得権益の打破を叫ぶ規制緩和と自由化・民営化」「グローバル化を合言葉に進められる米国化」でした。これらのことが、日本の経済成長を阻害していることは、この「ひろしの視点」をお読みいただいている方にはいつもお話していることなので、よくお分かり頂けると思います。

さらに、「少子化は国難」と言いながら少子化をさらに進める「女性の社会進出」を促進し、子育ては家庭ではなく社会で行うべきと言わんばかりの「ゼロ歳から保育園へ」「保育園で11時間保育」といった政策が推し進められています。

働きたい女性が働くことには賛成しますが、そうではなく、家で子育てに専念したいと考えている女性まで「子供を預けて働かない女性は輝いていない」ような印象を与える昨今の「女性の輝く社会」というキャンペーンは、それこそ価値観の押し付けだと言えます。古い考え方だと女性国会議員にはいつも怒られてばかりいますが、「子育て」について男性は女性に絶対に叶いません。これは差別などではなく、持って生まれた性差です。男性には決して子どもを産むことはできません。男性には決してできない子育てをする女性はとても輝いています。男性にできるのは、そういう女性が安心して子育てに専念できる環境を整えることです。働きたい人は働けばいいし、働かないで子育てに専念したい女性は子育てに専念できる。働かなくても生活の不安がない。そういう社会こそが、子育てにやさしい社会ではないかと思うのです。昨今のように、男性の収入が下がり、共働きでなくては子供を育てるだけの家計が維持できない環境を見ると、余計にそう思います。

世の中で、子どもを育てること以上に大事な仕事はありません。思いやりがあり素直な人格をもった大人を育てるのは、もっとも大事な仕事なのです。それを担うのは女性であり家庭です。

昨今の「女性が輝く社会」キャンペーンは、労働力としての女性が欲しい経済界の要請によるものであり、「少子化という国難」に対応するものではないのです。

ところが、「保育園落ちた。日本死ね」というような下品な言葉に反応し、それを受け止めて「もっと保育園を」「待機児童解消を」と誰もが叫び、それに呼応するように、政府も「待機児童解消」「受け皿拡大」「保育時間の延長」を実行してしまう。そこには、子供が何を求めていて、乳幼児の育ちには、人格形成にはなにが一番大切なのかという視点は、完全に欠落しています。

「子ども育ては親育て」という言葉があるように、人間は生物学的には子供を産めば親になりますが、それだけではなく、人間として成長して一人前の親にならなくてはありません。そのためには、子どもと正面から向き合い、大人に対する100%の信頼がなくては生きていく術がない乳幼児と向き合うことが必要なのではないでしょうか。

そして、こんな固いことを言うまでもなく、何よりも子どもの可愛い時期は本当に短いのです。その時間を子どもと一緒に過ごさないのは本当にもったいない。そして、子どもが初めて寝返りをした瞬間、初めて立った瞬間、初めて歩いた瞬間を見ることができないのは、言葉では言い表せないほど残念なことだと思います。

私は、上の子供が初めて寝返りした時、はじめて歩いた時、いまでも覚えています。彼が初めて寝返りした時、一生懸命力を入れて寝返りが出来て、でも本人にとっては初めての経験で何が起きたかわからず、びっくりして泣いていたことをいまでも覚えています。そういう思い出の一つひとつが家族の思い出となり、人生の豊かさにもつながっていくのではないでしょうか。

最近は児童虐待が目に見えて増えてきました。かつてはあり得なかった「子殺し」が連続し、日常的にニュースになるようになりました。それに呼応するように、国会議員も「児童虐待の厳罰化や体罰禁止」に動いています。でも、これは厳罰化や体罰禁止で止まるような事態ではありません。厳罰化したところで、余計巧妙な、悪質な虐待事案が増えるだけです。これらの場当たり的な施策を見ても、とても「本気で児童虐待に対応している」とは思えず、条件反射で無節操・無思想に、そして人気取りのために「厳罰化や体罰禁止」を唱えているようにしか思えないのです。

ことほど左様に、いま、国で「良い」と言われている政策(これは与党も野党も同じように「良い」と考えている政策です)は、私はほぼすべて「誤りである」と考えています。

この「日本の未来を考える勉強会」では、いままでマクロ経済政策を中心に取り上げてきました。デフレからの脱却が日本の最大の課題であり、これを克服するためには政府支出の拡大と消費税増税の凍結さらには減税が不可欠であるとの認識の下、提言も取りまとめてきました。

これは、デフレという現象は国の経済を停滞させるだけではなく、人々の心も貧困化させ、社会を荒廃させる大きな要因になるからです。昔から「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある通り、経済的な余裕が無ければ、思いやりも礼儀も失われます。デフレが続き、その中で経済成長のみを目的とするので、「いまだけ、金だけ、自分だけ」という考え方が広まってしまうのです。

昨今は「能力主義」がいかにも良いもののように考えられています。しかし、この能力主義で問題なのは、「人の能力を正確に測れる人は誰もいない」ということです。そのような欠陥が

あるにも関わらず、能力主義が良いということになると、成功した人=能力のある人ということになります。しかも最近もてはやされる「成功者」は、ホリエモンに代表されるように「お金儲けのうまくいった人」と言っていい。しかし、「能力のある人=成功する人」とは限りません。成功する人は、いろいろな要素がうまく回って成功できたのです。成功しない人は必ず「努力の足りない人」「能力の足りない人」というわけではありません。しかし、現在は成功しない人は、努力や能力の足りない人なので仕方がないと切り捨てられる風潮があるように感じます。

そして成功者がもてはやされて、その一部の「成功者」の意見を聞いて政策がつくられ、「普通の人」ではなく、極めて一部の「成功者」のための政策が実現していくのです。これで国民すべてが豊かな生活ができる社会ができるはずがありません。

私は、本来は普通の人が普通の努力をしたら普通の成功ができる社会を目指すべきだと思います。ここでいう「普通の成功」とは、結婚できて、子供が持てて、子どもを大学までやることができ、安心して老後を暮らすことができる「平凡な生活」のことです。一部の人しか結婚できず(50歳時点での男性の生涯未婚率(一度も結婚経験のない人の比率)はなんと23%)子供も持てない社会はどこかおかしい。

これら一連の事象を食い止め、正常に戻していくには、それぞれの国民が「常識」を取り戻す必要があります。

そのために、私の勉強会では当面のテーマは「常識を取り戻す」ことにしたいと考えています。

国会議員が今の政策に疑問を持ち、声を上げるようになれば少しは変わるのではないでしょうか。

今回、私がここに書いたような内容、例えば今回書いた保育の話などは、いまの社会で国会議員が発言すると大問題になるかもしれません。「女性差別だ」「時代遅れの政治家だ」などと叩かれるかもしれません。それだけいまの日本社会は許容範囲が極めて狭くなり、自由な発言が封じられています。このような社会は「全体主義化」していき、ナチスドイツがそうだったように結果的には「没落」に向かって行きます。全体主義とは「とにかく社会全体の意見に従え。従わない者は社会的に抹殺せよ。」という空気であり、民主主義の病なのです。

これを食い止めるためにも、私の勉強会で一石を投じていきたいと考えています。経済の話や消費税の話だけではなく、「日本人はどうあるべきか」。そんなことをしっかり考える勉強会にしていきたいと思います。これからの「日本の未来を考える勉強会」にどうぞご期待ください。


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