ひろしの視点

大学改革~なぜこんなに混迷するのか~

この臨時国会では、大学入試改革における議論が沸騰しています。撤回に追い込まれた英語の民間試験導入。いまだ議論の絶えない国語数学の記述式試験導入。もうすでに新方式の導入は来年と決まっているのに、とても信頼できる状態にはなっていません。来年に受験を控えた高校二年生は、どのように受験勉強していいのか分からず、混乱しています。

この大学入試改革は、自民党が政権を取り戻してすぐに着手した教育再生の取り組みの一環で行われたものです。小学校から英語を教科化することとも共通しますが、日本人の英語力強化、そして、創造力豊かな日本人を作らなくてはならないという方針のもとに、大学改革、高校大学接続改革(高大接続改革)などが進められてきました。

かつての「ひろしの視点」でも、私は英語教育の強化に反対する意見を述べています。当時、私は当選一回生で自民党の議論の仕方もよく分からず、それでも部会では反対意見を述べていたことを覚えています。

これら一連の改革を主導したのは、極めて一部の政治家でした。創造力豊かな人間形成のために、そしてグローバル人材育成のために、英語力強化と大学入試改革が行われたのです。

少し考えれば分かりますが、〝入試を変えたり指導方法を変えたりさえすれば、誰でも英語がペラペラになり、創造力豊かで世界と伍して渡り合えるグローバル人材を育成することができる〟と考える方がおかしいのです。そんなに簡単にそんな人物を生み出すことができる教育方法が存在するのであれば、とっくに実行しているでしょう。それが現在行われていないということは、そのような教育方法は存在しないということなのです。自分の考える改革を実行すれば、必ずそれが成功すると考えるのは極めて傲慢であり、独りよがりな考え方というべきです。

しかし、この教育改革は、一部の政治家の思い込みにより実行されてしまいました。

さらに、不幸なことが重なります。

本来であれば、こういうやってはいけない改革を政治家が言い出した時に、それを阻止するのが官僚の仕事です。しかし、(今はさらに酷くなったような気もしますが)、当時の官僚は、政治主導という旗印のもとに、政治家の意見に反対意見を述べることができない空気になっていました。さらに、内閣人事局をつくるなど、政治家に人事権を握られると、余計に政権の意向に反対する意見は言いにくくなります。

そのうえ、この頃の文部科学省の事務次官には「面従腹背」を座右の銘にするような人物が就いていたりするので、さらに意見を言わない体制であったということができます。面従腹背を座右の銘にしていれば、国民生活よりも自分の立身出世の方が大事で、保身のためのイエスマンに徹しているということですから、大臣の意向に反する意見などいうはずがありません。(このような人物が最近では講演にひっぱりだこで、人が集まるというのも異常事態だと思います。私だったら、絶対に呼ばないし話も聞きたくないですが。)

これらの現象が重なり、一部の政治家の意見が自民党の政策として採用され、実行されていきました。平成時代の改革の一連の失敗と同じ道筋であるということができます。自民党内の重鎮と言われる先輩議員も、これらを止めることはしませんでした。

こういうことが重なり、平成時代の停滞が生み出されてきたことがよく分かります。政治家が自分の独りよがりな考え方で改革を語り、それを止めるべき官僚は沈黙し、非常に短期間で改革を決めてしまって進めてしまう。まさに「スピード感をもって改革を進めてきた」のです。そして、やってはいけない改革が実行され、経済は停滞し、貧富の差は拡大し、少子化が進展して国力が低下し続けるという事態になりました。

この大学入試改革は、残念ながら野党の手によって阻止されようとしています。与党の失政を指摘し、修正させるのが野党の仕事ですから、これは、野党がやるべきことをしていると言わざるを得ません。こういう仕事を地道に続けていけば、野党の信頼を取り戻すことができ、やがて大きな政権交代のうねりを作り出すことができるでしょう。

萩生田文部科学大臣は大変ご苦労されていますが、英語入試の延期と共に、記述式入試の中止もぜひ決断して頂きたいと思っています


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