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衆議院議員 税理士 あんどう裕

ひろしの視点

HIROSHI’S POINT OF VIEW

ひろしの視点

2021/02/03

電力需給の逼迫

この冬は、多くの国民は知らないところで電力需給が非常に逼迫し、危うく大規模停電が発生する危機的状況にありました。
関西電力管内でも、もう少しで需要に応じた電力調達ができずに停電が発生する事態となっていたのです。
電力事業とはかなりデリケートな事業で、需要量と供給量を常にバランスさせておかなくてはなりません。電話であれば、回線が満杯のときに他の誰かが電話をかけても、その一本が話し中になるだけで、他の回線には支障はありません。

しかし、電力はこのバランスが崩れると、すべての回線が止まってしまう大規模停電を起こしてしまうのです。従って、電力会社は常に需要量を予測し、測定しながら発電機を動かしたり止めたりして供給量を調節しています。こういう性質の事業であることも、あまり国民に知られていません。
今の日本は、電気が安定的に供給されていて、「スイッチを入れれば電気が点くのが当たり前」という生活に慣れてしまっています。しかし、その「当たり前」は、電力事業に関わるすべての人が誠実な仕事をしていることによって達成されているのです。
今の日本では、原子力発電所が稼働停止になっていることが多く、それだけでも発電所がぎりぎりです。今年の冬はそこに寒気が厳しく、火力発電所の燃料を想定以上に使用したことやLNGの輸入が思うようにいかなかったことなどが原因として挙げられています。
その反動で、いわゆる新電力と言われる新規参入電気会社が顧客に販売する電気を購入する市場での価格が高騰し、消費者の電気料金が一気に跳ね上がるという現象も起きました。
市場に任せれば、需給がひっ迫している時に価格が上昇するのは当然で、市場原理を導入した時に当然予想される事態でした。予想されていたので、上限価格は設定されていたのですが、これが上限価格に張り付き、電気料金の大幅上昇につながったのです。

安定した電気を供給することは、これだけ電化が進んでいる日本では死活問題です。生命維持装置を使用している家庭にとっては、まさに生死に関わる問題です。経済取引も今やコンピューター抜きには考えられないので、停電になれば経済も停滞し、日本中が大混乱に陥ります。
これまでは電力会社の地域独占の形態を採用してきました。しかし、自由競争の無いことが電力会社のおごりを生み、電気料金の高止まりや再生可能エネルギーの導入を阻んでいる等の批判を受け、発送電分離が導入され、自由競争のもとに電気事業を行うこととなりました。その結果、当初の思惑とは別に(とは言え、もともと懸念されていたことでもありましたが)このような逼迫状況と電気料金の急激な上昇を招いたと言っても過言ではないでしょう。もちろん、大震災による原子力発電所の停止も大きく影響しています。
この電力事業から言えることは「自由は素晴らしい。自由競争でなくてはならない「原子力は危ないので、100%の安全が確認できなくては稼働させてはならない」「再生可能エネルギーは環境にやさしいので、導入することは絶対に正しい」という思い込みです。
火力発電は二酸化炭素を排出しますが、天然ガスによる発電などは需要に応じて供給量を調整する電源としては、今のところなくてはならないものです。また、石炭火力は悪で作ってはならないという風潮になってしまいましたが、石炭は安価で安定的に調達できる燃料でもあり、常に供給し続けるベースロード電源として石炭火力を使用しなければ電気料金が高騰する要因にもなります。国民生活の安定を維持するための電源バランスをとり、安定的に燃料を確保して絶対に停電を発生させない電力供給システムを構築しておかなくてはならないのです。 再生可能エネルギー至上主義や二酸化炭素排出反対、原子力発電所絶対反対という制限を課してしまうと、電力の安定供給を担保することが難しくなっていきます。電気のない生活でいいのだというコンセンサスが得られれば別ですが、今、そのようなコンセンサスが得られるはずはありませんし、そんなコンセンサスを得る必要もありません。電力の安定供給を維持するにはどうしたら良いか、最善の策を講ずれば良いだけです。

ここでも、事実に基づいて冷静な議論ができる土壌が失われている気がするのです。100%安全でなければならないのであれば、誰も車に乗ってはならないということになります。自動車も飛行機も船も100%安全な乗り物ではありません。しかし、みんなその危険を承知の上で、便利のために乗っているのです。交通事故で毎年数千人の方が命を落としているにも関わらず。
我々が生きていくためには、一定の危険はついて回ります。どこまでの危険を許容するのか。その危険を忌避するために失う便益は何なのか。 あれを言ってはいけない。これをやってはいけない。そんな制限ばかりで、本当に大切なことをないがしろにしているような気がしてなりません。少しでも正気が取り戻せる社会にできるように、これからも精進したいと思います。