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衆議院議員 税理士 あんどう裕

ひろしの視点

HIROSHI’S POINT OF VIEW

ひろしの視点

2016/10/04

英国がEUから離脱 ~グローバリズムと民主主義を考える~

参議院選挙の開始早々に、大きなニュースが飛び込んできました。

EUからの離脱か残留かについて行われたイギリスの国民投票の結果、離脱が上回り、イギリスはEUから脱退することとなりました。

直近の世論調査では、残留派が上回っているように報道されていたので、離脱という結果になったのは意外でしたが、私は、英国民は賢明な選択をしたと感じています。

もちろん、短期的には様々な混乱が生じるでしょう。既に日本も円高株安の影響があり、これからどのような経済問題が発生するか、誰にも予測が出来ない状況が当面続くと思われます。

イギリスのみならず、他のEU加盟国の中にも、離脱を検討する国が出てくるでしょう。EU自体が存続出来るのかという重大な問題にも発展するかも知れませんね。

かつて、ソビエト連邦という国がありました。米国と並ぶ超大国として、社会主義国家の盟主として君臨していましたが、あれよあれよという間に崩壊し、国家として消滅してしまったことを思い出します。あの出来事は非常に衝撃的でした。

今回の国民投票の結果で感じたことは、グローバリズムに対する反感が国の指導者層が考えていた以上に大きいものであったということです。

イギリスのキャメロン首相は、EU離脱についての是非を問う国民投票を実施することを公約としていましたが、実際に国民投票を実施すれば、必ず残留派が勝つという確信があっただろうと思います。しかし、国民感情はそうではなかった。政治家として、国民感情を把握しきれていなかったことは、痛恨の極みであると感じていることでしょう。

ではなぜ国民感情はグローバリズムに対して反感を持っているのか。ヒト・モノ・カネの動きが自由で、自分でどこにでも行けるし、どこに投資しても良い。どこで商売をしても良い。そんなビジネスをする上では最適な環境のはずなのに、なぜその環境を自ら失おうとするのか、なぜその環境に対して反感を持つのか。

この理由は、人間はビジネスをするためだけに生きているわけではないということなのだろうと思います。

長い間、場合によっては先祖代々何百年もその土地で生活をしている人々がいます。その人たちは、墓を守り、先祖からの家・土地を守り、地域の祭りを守り、それを次の世代に引き継ぐべきという考えを持っているでしょう。そういう人たちは、その土地を捨てて他の地域に移る選択をしません。地域で生活をしている人々にとっては、ヒトの移動を自由化しても自分にとっては利益がありません。

そして、その地域に他の国から人が入ってきて仕事を始め、それによって自らの職が奪われることは起こり得ます。どこに行って商売をしようがEU圏内では自由ですから、それを制限することは出来ません。実際に、移民は貧しい国から豊かな国へと移動するのが常ですから、先進国の国民が生活をし仕事をしていたところに、貧しい国から来た移民が来て、安い賃金で職に就き、元々の国民の職が奪われていくという問題は、実際に起きています。しかし、EU圏内ではそういう問題が起きても、政府は自国民を守れません。ヒト・モノ・カネの移動は自由にするということを条約で決めてしまっているので、どうしようもないのです。国民は、投票によって政治家を選び、その政治家が政治を行いますが、その政治家は自国民の不満を解消することが出来ません。

これは言わば、民主主義が機能しないということを意味します。グローバル化を優先しているために、民主主義は制限されているのです。

この状態では、政府に対する国民の不満は増加することはあっても、解消することはありません。結果的に政治不信が膨脹して、極めて不安定な社会情勢を引き起こすことになるでしょう。

ダニ・ロドリックという国際政治学者が「グローバリゼーション・パラドクス」という本の中で、「世界経済の政治的トリレンマ」の指摘をしています。これは、「グローバリズム」と「国民国家」と「民主政治」の3つを同時に満足することは出来ないという指摘です。

EUの場合は、「グローバリズム」を導入しながら「国民国家」が存続しています。すると「民主政治」を制限せざるを得ません。民主的な手続きで誕生する政権が、その国民を守るための政策を実行することが出来ない。先程述べた通りです。

「グローバリズム」と「民主政治」を優先すると、「国民国家」をあきらめなくてはならない。EUはそれぞれの国の独立を放棄して合併すれば、これは実現出来るでしょう。しかし、それにはかなり高いハードルがあるように思います。

今回のEU離脱という選択は、「国民国家」と「民主政治」を優先し、「グローバリズム」を制限するということです。私は、この選択によって、英国民は自国民の生活を守ってくれる自分たちの政府を取り戻したと思いますし、これにより、政治不信は解消の方向に向かうだろうと思います。

そもそもキャメロン首相がこの国民投票を実施せざるを得なかったのは、離脱派の不満があまりにも大きくなっていた、つまり、政権に対する不信が高まっていたからです。グローバリズムの本質は、各国の政治家がその職務を制限し、全てを国民の自己責任に委ねるということであり、その結果は、政治不信に結びついていく。政治家がグローバリズムを推進するということは、結局自分たちに対する不信を高めるのです。

キャメロン首相をはじめ、英国の指導者層はこのことを理解していなかったと言えるでしょう。しかし「自由」という言葉はつくづく「魔物」だと思います。「自由貿易」というだけで条件反射的に、「良いこと」と思ってしまう。そういう魔力を持っています。だからこそ、グローバリズムは一般的に支持が広がりやすいのです。私たちは、本来求めるべきは「自由」とはどのようなものなのかをもっと真剣に考える必要があるのだろうと思います。

そして、もう一つ、今回のイギリスの国民投票で感じたことがあります。それは「国民投票」という手続きでこれだけ重大な政策決定をして良いのだろうかということです。

今回の国民投票の分析はまだまだこれからだと思いますが、一部では、若者は残留に投票したが、年齢の高い人ほど離脱派が多かったという報道もあります。「若い人たちの自由を高齢者が奪った」というようなことを言う人たちもいるようです。しかし、一般的には人生経験の長いほうが正しい判断をする場合が多いと思いますし、どの時代にも長老の意見は大切にするものです。若い者は年長者の意見を聴き、謙虚に物事を実行していく必要があるだろうと思います。私企業であれば、自分の思い通りにやりたいならそれでも良いと思いますが、国民全体の生活を左右する政治の場合にはそうはいきません。やはり謙虚さ、慎重さが求められるでしょう。

その謙虚さや慎重さが求められる重大な政治決定を国民投票で決めて良いものなのか。このような重大な決定を「国民投票で決めろ」という声が大きくなってくることも、私は少し心配しています。

日頃から重大な決定をする立場にある人であれば、自分の選択がその組織にどのような影響を及ぼすのかを常に考え、想像しているでしょうから問題ないのかも知れません。しかし、今回の参議院議員選挙から18歳選挙権も導入されましたが、高校生や大学生にそのような判断をする経験は恐らく皆無でしょうし、そのような人たちにも、これだけの重大な判断を迫るのは酷な話ではないでしょうか。

しかし、そういう人たちにも投票権があると、どうしても巷で良く言われている「自由」「平等」という言葉のついているものが高く評価をするようになり、結果的には国民全体にとって良くない投票結果になってしまうのではないか。その恐れは小さくないと感じています。

今の日本では、民主主義で決めたことはとにかく良い結果なのだ。民意は常に正しいのだという思い込みがあるように思います。しかし、つい6年前には、日本でも民意が民主党政権を誕生させましたが、これがとんでもない選択ミスだったことは明らかです。古くは、ドイツで民主主義の正当な手続きにより、ヒトラーという独裁体制を生み出しました。

「民主主義により示された民意は、常に正しい選択肢を選ぶとは限らない」ということを、もっと共通の認識にしなくてはならないと思います。直接国民に決めて貰えば、いつでも正しい結果が選択されるのであれば、代議制は不要になりますが、現実はそうではありません。だから、議会というものが存在し、国会においてはさらに慎重さを重視しているために、二院制を敷いているのです。民主主義を正しく機能させるためにこそ、間接民主主義を採用していることの意味をきちんと理解すること。そして、18歳選挙権が導入され、高等学校での主権者教育が話題になっていますが、高校で安易な模擬投票の授業を行うよりも、民主主義の失敗事例をきちんと教え、民主主義によって選択を誤ると、どれだけ国民が不幸になるかという歴史をきちんと教えることのほうが、余程大切であろうと思います。そういった歴史を知っていたら、安易に国民投票を求める声は小さくなっていくのではないでしょうか。

いずれにしろ、EUのこれからについては、予断を許さない状況が続きます。日本は、この経済危機から国民生活を守るためにはどうすべきか。その議論を深めなくてはなりません。日本は幸いなことに、内需を刺激するだけで大きな経済効果を生むことが出来ますし、外国から資金調達をしなくても国内で資金を手当てすることが出来ます。日本は今こそ、もう一度内需を拡大して経済成長することを目指し、グローバル化からは一線を画して、自国民の生活は自国の政府が責任を持って守るという、ごく「当たり前」の政治を、世界の手本として示すべきだろうと思います。

参議院選挙が終わった後には、秋の臨時国会に向けて大型の補正予算を組むことになるでしょう。そこで、国民が驚くような規模の補正予算を編成し、世界のどこで大きな経済危機が発生しても、我が国は大丈夫なのだという安心感を持ってもらうことが極めて大事な政策だと思います。

日本人に夢と希望と自信を持ってもらう。しっかりと取り組んで参りたいと思います。

-「ひろしの視点」第22号(2016年6月)より-