あんどう裕のアイコン

衆議院議員 税理士 あんどう裕

ひろしの視点

HIROSHI’S POINT OF VIEW

ひろしの視点

2016/10/04

オリンピックからランキングと自由競争を考える ~スポーツと政策の価値観は異なる~

オリンピックが終わりました。開催にあたり、治安面やテロの不安など、いろいろな課題が指摘されていましたが、まずは成功裡に終わったと思いますし、大きな問題や事件・事故がなかったことは喜ぶべきことだと思っています。

日本選手団も、すばらしい活躍をしてくれました。四年に一度しかないオリンピックで結果を出すのは、やはり並大抵のことではないと思います。

特に金メダルを獲得した選手が、表彰台で君が代を聞きながら日の丸が掲揚されるのを見る時は、とても気持ちが高揚し、晴れがましく誇らしい思いで表彰台に立っているのだろうなと想像しています。

そして、勝者も敗者もお互いの健闘をたたえ合う姿は見ていても清々しいものがあります。最近のオリンピックは商業化が進み過ぎているとか、利権がある等の批判もされていますが、この清々しさがあるからこそ、日本人はついついオリンピック中継を見て寝不足になるのが分かっていても、熱心に応援するのでしょう。

オリンピックやワールドカップなどで自国を応援するのも、一種のナショナリズムですし、国が国民の連帯感や国に対する自尊心・愛国心を高揚させるために、スポーツ予算を大規模に付けて、上位入賞を国家目標としている場合もあります。ロシアや中国などはその典型例と言えるでしょう。日本は、これらの国々に比べたらスポーツ予算は小さく、選手はかなりの場合、多額の自費を投入しています。東京オリンピックに向けて選手強化予算も増額されることは大事なこととは思いますが、この予算を増額したがゆえに他の政策の予算が削られるということがないようにしなくてはなりません。

ところで、このようなスポーツの時に感じるナショナリズムと同様、いろいろな所で日本という国に対して、愛国心や国民としての誇りを感じる場面があります。

例えば、日本人がノーベル賞を受賞した時などは、日本人としての民族の誇りを感じ、日本中が沸き立ちます。人類の発展に貢献した人物として、世界から評価されるのは、素晴らしいことです。

この他にも、色々なランキング評価があります。日本の観光地としてのランキングや、GDPのランキング、最近では大学ランキングなども日本政府は気にしているようです。

しかし、オリンピックなどスポーツで競い合い勝敗を決めることと、各種の指標でランキング順位を競い合い、上位を狙うことを同じように考えても良いのでしょうか。

スポーツの勝敗を競い、勝利を目指して努力することはその選手や周囲の人たちの向上心や体力、協力する心、感謝する心などを育てます。このことは、基本的にはプラスに働く場合が多いように思います。

では、その他のランキングはどうでしょうか。

ランキングの評価、順位は、どのような評価基準を設定するかによって決定されます。例えば、100m走であれば、一番短い時間で走った人が上位です。これらは、分かりやすい基準ですね。では、例えば観光地としてのランキングをつけるとしたら、どのような基準を設定すべきでしょうか。

日本人観光客はもちろん、外国人観光客からもわかりやすい案内表示板や地図、ガイドブックなどが必要になるでしょう。各々のお店にも、わかりやすいメニューを揃えたり、外国語のできるスタッフを揃えたりすることも必要でしょう。また、実際に来た人たちの評価も必要でしょう。10点満点で何点付けますか?というようなアンケートも取ったほうが良いかも知れません。これらの各要素について点検し、改善を重ねて観光地ランキングの順位を上げ、観光大国として国際的な地位を高めることができるのなら、意味があるのかも知れません。

しかし、例えば、いわゆる爆買いをする外国人観光客が評価するランキングを導入したら、どうでしょうか。外国人が大量に購入できて、しかも安いことが最高のランキング評価を得られるとしたら、そのランキングの上位を取るために日本は努力すべきなのでしょうか。私はそうは思いません。価格が安いということは、品質の低下につながります。質の高いものは、きちんとした値段で販売しなくてはその品質を維持できません。

また、外国人向けに安く販売しようとすれば、当然に消費税の免税措置は必要になります。消費税の理論では、海外で消費されるものに対しては消費税はかからないということになっているので、理論的には可能です。

しかし、同じ日本国内の同じ店舗で買い物をする時に、外国人観光客は消費税免税で安く買っているのに日本人だけ消費税を払っていたら、感情的にはあまり愉快には感じないでしょう。不公平感は拭えません。

今の観光地ランキングに、爆買いの基準が入っているとは思いませんが、日本では、そのランキングがどのような評価基準に基づいて評価が行われるのか、その評価基準を確認せずに、どこかの権威ある団体が実施しているランキング評価を無条件に受け入れ、一喜一憂しているケースが多いように思います。

例えば、大学ランキング。今、文部科学省では、この世界大学ランキングのトップ100校に日本の大学を10校入れることを目標に掲げています。しかし、教育はまさに国家百年の計。どのような評価基準で、いつその評価基準が変わるのかも分からないようなランキングを目標に据えるのは、教育にとっては〝百害あって一利無し〟と考えざるを得ません。この大学ランキングを上げるために、日本の大学では外国人留学生を増やすために、給付型奨学金や生活費の援助をしたり、英語のみで卒業できるような授業のカリキュラムを用意したりしています。

今の日本では、日本人学生の奨学金が議論されています。先の参議院選挙では、どの政党も給付型奨学金の創設・充実を公約に掲げていました。日本人学生には貸与型しかないのに、外国人留学生には生活費も含めた給付型奨学金を充実させ、しかも、一番多くその恩恵に預かる外国人留学生は、日本から最も近く、世界で最も人口の多い国からの留学生です。

大学ランキングを上げるために、そのような政策を推進して良いものでしょうか。

また、日本の大学でありながら、日本語で授業を受けることができない環境を作ろうとしています。以前にこの『ひろしの視点』でも書きましたが、母国語で世界最高水準の大学教育をすることができるのが先進国の証であり、日本はこの環境が整っているからこそ、ノーベル賞を取ることができるし、日本人一般の知的水準も高く保つことができるのです。もし、大学教育を外国語で行うことになれば、それは先進国型の教育システムから発展途上国型、あるいは植民地型の教育システムへ移行することを意味します。これも大学ランキング評価で上位を目指すことによる弊害だろうと思います。

このように、オリンピックで金メダルを目指すことと、各種ランキングで上位を目指すのでは、その意味が異なりますし、そもそも上位を目指す目的は何なのか見失ってしまうことにもつながります。でも、どうしてもランキング評価は、ぱっと見て「わかりやすい」ために、目標とされ易いのです。

繰り返しになりますが、ランキングで大事なのは、その評価基準をどこに置くかということです。そして、もし日本が各種ランキングを重視するのであれば、その評価基準を決める側にならなくてはなりません。基準を作る側にいなければ、いくらランキングで上位になっても、後から基準を変更されてしまえばあっという間にランキングは下がります。このこと一つを取っても、安易な「ランキング上位を目標とする政策」は無意味なことが分かります。まあ、参考程度にしておけば充分でしょう。

もう一点、オリンピックと同様に競争して勝敗を決めることについて、疑問に思うことがあります。それは経済における競争です。

今、世界は大競争時代を迎えていると言われています。経済的には、自由競争の中でいろいろな改革が生まれ、生産性が向上し、技術革新が促されて優良企業が生き残り、敗者は市場から撤退する、ということが効率的であるとされています。

国家間でも、自由市場の中で競争原理に基づいて、民間企業に自由にビジネスをさせることが良いことなのだという暗黙の了解があります。同一のルールの下で競争し、勝者を目指すということであり、オリンピックと発想としては同じです。勝者はより努力をし、能力にも恵まれているので、敗者よりも称えられて当たり前。自由競争で同一ルールの下なのだから、上位に行けるように努力すれば良い。勝者には、金メダルと同じように、それに見合うだけの報酬が与えられて当然であるということです。

しかし、経済の世界で完全に自由競争を導入すると、優勝劣敗となり、富は一部に集中し、貧者はますます貧しくなるという結果に結びつきます。貧富の差が激しくなると社会に不平不満が増大し、社会全体が不安定になっていきます。昔から、政治の世界では完全雇用の達成と所得の再分配は大きな課題です。失業者が出てもしっかり養わなくてはなりません。できるだけ経済活動に従事してもらい、本当に働けない人には、政府が生活の支援をする。そのためにも雇用の創造は大きな仕事です。

併せて、所得の再分配も大切です。一定程度の所得水準の中に、国民の大多数が入るような、かつての一億総中流と言われた時代を取り戻すこと。これも今の日本には必要なことだろうと思います。

国家間でも自由競争市場を作る動きがあります。EUがその典型例ですが、EU内でも貧富の格差が大きくなり、ドイツの独り勝ちのような状況になっています。更に、国家間においても貧富の差が拡大していくことは、そのうちに国際紛争につながります。市場統合は紛争の発端になりこそすれ、紛争防止にはつながらないことは過去の歴史を見ても明らかなのです。

愛国心を高めることは、とても大切なことですし、国際関係の中で、国際的な地位を高めることは非常に重要です。オリンピックのような場で上位を競うことは、国際的な地位の向上と国民の連帯感を醸成する上で、とても意義があることです。

しかし、その他のランキングは、評価基準を確認した上で、何の目的で上位を目指すのか明確にしておかないと、国としては、むしろマイナスの効果となってしまう場合もあります。また、経済においてもスポーツと同様の競争と勝者称賛を徹底してしまうと、却って社会不安の増大につながります。

これらのことは、オリンピックでの勝利を目指すこととは根本的に発想が異ならなくてはなりません。しかし、どうしてもスポーツと同じような感覚が、ランキングや自由競争の経済という中に存在しているような気がしますし、それが様々な社会問題のひとつの要因となっているような気がしてなりません。

-「ひろしの視点」第24号(2016年8月)より-