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衆議院議員 税理士 あんどう裕

ひろしの視点

HIROSHI’S POINT OF VIEW

ひろしの視点

2018/04/01

働き方改革の議論 ~真のアベノミクス成功のために~

働き方改革法案の党内議論が進んでいます。労働法の扱いは本当に難しいものです。職場によって働き方は異なるし、これをひとつの法律で一律に決めてしまうのは、決して良くないし難しいと感じています。

例えば、残業にしても、所定時間を超えて仕事をしたら残業代を支払うことになっています。当然といえば当然ですが、しかし、これも考えようによったら、仕事の早い人は所定時間内に仕事が終わるけれど、仕事の要領が悪くて作業の遅い人は残業しなくてはならない。その時には、同じ業務量なのに、仕事の遅い人のほうが給料が高くなる、ということになります。これはこれで不合理を感じる人は感じるでしょう。そういう意味では、裁量労働制にも一定の合理性はあります。野党の皆さんは「残業代ゼロ法案」とか「働かせ放題」と批判をしていますが、それはちょっと違うのではないか、と思います。

今回の働き方改革の目玉は、いわゆる「同一労働同一賃金」と「残業時間の上限規制」ということになるでしょう。「同一労働同一賃金は、長く野党が主張してきていたものです。自民党としては、非正規雇用の方々の処遇改善という意味で今回「同一労働同一賃金」を入れるということにしましたが、私自身は、「同一労働同一賃金」という言葉は誤解を招くので使うべきではないと感じています。

もとより、「同一労働」は定義ができません。同じような職種で働いている人でも、働いている内容は多かれ少なかれ異なります。「同一労働」は定義できない概念です。

たとえば、スーパーでレジを打つにしても、ある人はにこやかに「いらっしゃいませ」という人もいれば、ある人は下を向いてぶっきらぼうに無表情で「いらっしゃいませ」という人もいます。

どちらが職務に前向きで職場に貢献しているかは明らかです。これも「同一労働」で「同一賃金」であるべきなのか。当然に仕事の優劣によって差があるべきで、そうでなくては優秀な前向きな人が報われないことになります。

今回提案する内容は、正確に言うと「同一労働同一賃金」ではなく、「不合理な待遇差をなくす」というものです。合理的な説明ができれば、もちろん賃金の差があってもいい。そういう内容になっています。しかし「同一労働同一賃金」という言葉が独り歩きすると、勘違いして「同じ労働しているのだから同じ賃金でなくてはおかしい」と言い始める人が出てくるのではないか。そうなると職場が混乱し、「悪平等」を求められて経営者が疲弊するのではないか。私からはそんな懸念を党内議論で申し上げました。

もう一つ、「残業代の上限規制」については、働き過ぎを規制するためにはある程度規制強化が必要ではないかという趣旨で導入されるものです。もちろん、残業なしである程度の給料をもらえるのが理想です。しかし、なかなか現実はそうなっていません。また、予想以上に注文が来てしまって残業しなくては注文に追い付かないという場合もあるでしょう。そういう時に、法律の規制があるから受注機会を逃してしまう。そういうこともあってはならないと思います。そうなっては、中小企業は中小企業のまま大きくなることができません。どこかで無理をしなくてはならない時期もあるでしょう。そういう時も一律に罰則付きで規制するのは、それも問題ありだと思います。

また、残業代の上限規制が入ると残業代削減になるので、結局雇用者の所得減につながるのではないかという指摘もあります。労働者保護はいいのですが、それによって給料が減ってしまってはアベノミクスに逆行することになります。これはそうならないように賃上げとセットで考えて行かなくてはなりません。

これから日本は人口減で労働者人口が減っていきます。単純に考えれば、その分労働時間は増えていきますが、そこは様々な技術開発、ITやAI導入によって補い、結果として労働時間は短縮されるが一人当たり給料は上がっていく。今まで二人で仕事していたものを一人ですることができるようになり、一人で二人分の給料をもらえるようになる。そういう雇用環境を作ることができれば、最も好ましいと思います。

それには、特に大企業の経営者の考え方を変えてもらう必要があります。利益至上主義ではなく、従業員にも十分に利益分配をするように経営方針を明確化してもらうことが必要なのです。

それでこそ、今回の働き方改革は成功すると思います。そういう意味では、まだまだこの法案はうまくいくにはいくつものハードルがあると思います。労働時間短縮と賃金アップ。この両方を実現することがアベノミクス成功の要点だと思います。

-「ひろしの視点」第43号(2018年3月)より-