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衆議院議員 税理士 あんどう裕

ひろしの視点

HIROSHI’S POINT OF VIEW

ひろしの視点

2020/10/03

民営化は悪なのか

日本は「改革が必要」だと言われ続けてきました。
私の物心ついたころは、中曽根内閣の「国鉄民営化」といった大きな改革が行われました。この国鉄民営化は、では成功だったのか?この改革には、様々な側面があります。国鉄の赤字体質を改善することや強すぎる労働組合の解体、国鉄職員の親方日の丸意識の払拭など、評価するにはこれらの点を総合的に判断していく必要があるでしょう。

国鉄には、戦後の失業者対策として、雇用の受け皿としての機能もありました。従って、本来の必要人員よりも多くの社員を抱えていたことも事実でしょう。そのような戦後の混乱期の中で、少し偏った思想を持って労働組合活動に従事した社員がいたこともまた事実でしょう。歴史の流れの中で翻弄されてきた人々も大勢いて、その人たちが多く集まっている企業でもあったのです。 そして、国有鉄道であったために倒産はあり得ず、赤字でも存続し続けることができました。そのために巨額の債務が積み上がり、その債務が問題視されて経営再建という課題がついて回っていたのです。

それでは、国鉄分割民営化は成功だったのか。
労働組合の解体という意味では成功だったでしょう。しかし、日本全国に鉄道網を張り巡らせるという本来の国が行わなくてはならないインフラ整備の側面からは、失敗であったと言うべきです。

実際に、もともと経営難が想定されていた北海道や四国・九州のJR各社は、赤字に喘いでいます。もともとの計画では基金による収益で赤字部分を補填する予定でしたが、低金利時代がこれだけ続いてしまうと、その想定自体に無理があります。
その結果、たとえばJR北海道は廃線に次ぐ廃線で、もはや鉄道網と言えない状態になってしまいました。
また、民営化されて当然独立採算が求められるので、災害で被害が発生した赤字路線は、復旧されることなく廃止されていきます。復旧したところで採算がとれないからです。

鉄道という交通インフラが奪われた地域では、当然人口が流出していきます。交通弱者は住めませんから、学生や高齢者を抱える家族はインフラの整っている地域へと移動していきます。ある意味、当然です。

しかし、私もこうは書いてはいますが、国鉄民営化を完全に否定的に見ているわけでもありません。当時の「スト権スト」みたいな意味不明のストライキばかりやっていた国鉄の労働組合は懐疑的に見ていました。憲法改正反対や自衛隊反対などの動きをしている労働組合というものにも疑問を持っていました。これを壊滅させるために、国鉄民営化という大きな事業を行って政治的に決着をつけたという意義も小さくないと思います。当時の国鉄分割民営化に関わった政治家は、中曽根さんをはじめとして、戦後の混乱期を収束させるためにも、このような大改革は必要だったように思います。これがあったから、今になって、まがりなりにも改正が国会で議論される空気感が出てきたのでしょう。

従って、国鉄分割民営化を総括するとすれば、①過激な労働組合を解体するという意味では成功、②日本全国に鉄道という交通インフラを整備するという意味では失敗、③左派の力を弱めて憲法改正の議論を冷静に進める国民の間での感情的土台を得るという意味では成功―そんな総括ができるのではないかと思います。
では、郵政民営化はどうだったでしょうか。
郵便局は、日本全国に張り巡らされた郵便局網により、日本全国どこでも安価で良質の郵便配達というサービスが受けられるという日本国民の生活を支えるインフラです。郵便配達という事業は、日本全国同一料金です。どんな離島でもどんな山間部でも料金は同じです。ということは、当然赤字部分と黒字部分がありますが、事業全体で黒字なら、それでいいわけです。そして、日本の先人たちは知恵を絞って、郵便配達だけでは赤字になるので、郵便貯金と簡易保険という金融サービスを郵便局に付随させて、これらの収益で赤字事業となる可能性が高い郵便事業を成立させたのです。独立採算は取れていたので、国からの補助金も必要なく運営されていたのです。国鉄のように、分割民営化後に巨額の債務を引き継いでいる団体もありません。
郵便貯金や簡易保険で集められた資金は、一部は無駄遣いもあったかも知れませんが、たいていは財政投融資の形で国民生活の向上に使われていました。改善するなら、この使い道でした。
労働組合が変に強くておかしな労働運動をしていたわけではありません。それどころか、郵便局は自民党の強力な支援団体でもありました。
郵便貯金や簡易保険で集められた資金の使い道を改善する必要はあったかも知れませんが、これも分割民営化という大事業をやらなくては実現できないほどの大事業ではないでしょう。

つまり、今考えても、郵政民営化はほとんど意味がない。意味がないどころか、安定して国民に郵便サービスを提供していたものを混乱させ、簡易保険には一部外資を導入して国民の財産を外国に提供するという国益を損ねたものとしか総括できません。
最近は、至るところで公営企業の民営化が進められています。「官から民へ」が正しいことだとされ、民営化に反対すると非効率な経営を放置しているような印象を持たれてしまいます。

しかし、普通に事業を行って黒字が出る事業であれば民間で経営してもかまいません。しかし、公営企業には利益を追求すべきではないものも存在します。

例えば、水道、公共交通などは安価な料金で良質なサービスを提供しなくてはなりません。従って、ある程度は赤字でもやむを得ず、赤字部分は公的資金で補填しながら経営しなくてはなりません。これは、ある意味当たり前のことです。

公的資金が投入され、倒産があり得ないので、コスト意識が希薄となり放漫経営になりがちであるという指摘もある意味当たっているでしょう。しかし、だから民営化すべきだという議論に一足飛びにいってしまうのもおかしい。なぜなら、民営化すれば当然黒字経営でなくては経営が維持できず、料金の値上げ、雇用や赤字部門の削減ということを実行せざるを得なくなります。料金の値上げは使用者の生活に響きます。雇用や赤字部門の削減は、失業を発生させることになります。景気状況が良くて、すぐに雇用される状況であれば良いかも知れませんが、再就職にはそれなりのハードルがついて回ります。

こういうことを考えると、民営化が必ず良いこととして、推進すべきものとは言えません。また、黒字の公営企業であれば民営化しても良いのかと言うと、そうでもない場合もあります。例えば、市営地下鉄などが黒字経営を実現していた場合、株式会社として民営化し、株式を売却して完全民営化を果たした場合には、従来は黒字をすべて市民に還元できたものが、民営化したことにより、配当金の形で民間に流出することになります。株式売却益などで一時的に売却した市は潤うかも知れませんが、長い目でみた時には市民還元は少なくなることも考えられます。また、その利益をその地下鉄の延伸などに使えば、更なる市民サービス向上につながりますが、民営化したらそれができるかどうかは分かりません。そのような課題も考慮していかなくてはなりません。民営化して効率をよくするということは、赤字の投資はしませんということと同義なので、市民サービスが低下する恐れもあるのです。

「民営化=良いこと」という発想をする政治家も多いですが、これも考え直す必要があります。なぜこんなことになるのかと言うと、やはり根底には緊縮財政の考え方があります。

すべてのものは効率的でなければならず、黒字でなければならない。公共サービスは、効率や収支のみで考えてはなりません。効率の悪いことや赤字になってしまうことこそ、やらなければならないことがあるのです。